2012年5月22日、高名な音楽評論家・吉田秀和さんが亡くなられた。齢(よわい)98歳だった。 彼は亡くなるまで現役の音楽評論家の第一線にいた。 そのこと自体凡人には真似できないことだが、なによりすごいのは過去現在を通じて彼を超える音楽評論家はもう輩出しないだろうと思われることだ。 私が中学から高校にかけてクラシック音楽に夢中になりかけていた頃、彼はすでに音楽評論の中でも特出した存在であった。 また、名前が一字違い(よしだひでかず/よしだひろかず)のこともあり、特別に意識したわけではないが、常になんとなく気になっていた存在の人でもあった。 高校3年の頃だったと思うが、吉田秀和全集というものが出たことがあり、どうして音楽評論家の分際でそんなものが可能なのか不思議だった記憶がある。 考えてみれば、40年前すでに彼は50代後半だったのだから、当たり前だと言える。 また、音楽以外の美術や文学についても見識の広い方であったからさもありなん・・・・だろう。 その当時、やはりクラシックが好きだった世界史の先生が、彼は天才だな!と言っていたことは今でもはっきり覚えている。 同じ音楽評論家でも好き嫌いがはっきりしている宇野功方とはかなり毛色が違って、その文章はやさしく、インテリジェンスに溢れたものであった。 有名な一言「ひびの入った骨董品」は決して本質をついていたわけでもないけれど、いつの間にか評論家・吉田秀和の代名詞になってしまった。 今となっては、その発言(TVのインタビューでの)は彼にとっては不本意であったと思わざるを得ない気がしてならない。きっと、家に帰ってからじっくり反芻すればもっと適切な表現があったのではないだろうかと思える。 長い間、音楽雑誌(レコード芸術)で毎月独自の論評を続けていた。 例によって楽譜を出しての解説(自らあまり好きじゃないと言いながら)も結構頻繁に行っていた。 楽譜を読めない私には苦痛であったが、何でもかんでもわからないような表現が多い音楽評論家と比べると、きわめてわかりやすい表現は好感が持てるものであった。 何度も言うようだが、クラシック音楽そのものを体現している彼のような音楽評論家は今後もう出てこないだろうと思われる。実にさびしいことである。 ちなみに、ここ数年気になっている音楽評論家は慶応大学教授の許光俊ぐらいである。 ただ、彼の場合も出てきたときほどの爆発力が感じられないのは、その評論にあまりにも毒がありすぎるからだと思う。 そう言えば、許は吉田秀和のことを批判していた雑誌(アルファベータ)を作っていたが、なんだかんだ言いながらも。彼にとっては目の上のたんこぶの一人であった証拠だろう。 そして、もう一個のたんこぶは吉田秀和亡き後、宇野功方か? 吉田秀和さんのご冥福をお祈りします。
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