建物への想い・凛とした佇まい
建物は完成したとたん、社会性が生まれる。
真夏の海辺で毛皮のコートを着ているのは勝手だが、葬式にジャージでは失礼にあたる。着ている物自体が本人に似合っていることは勿論大事なことだが、シチュエーションをわきまえることは、もっと大切なことである。
住宅とて例外でなく、一般的には、ロケーションと称する。
ただ、洋服は着替えることは簡単に出来るが、住宅の場合はそうはいかない、外国人のように、まめに庭木の手入れや、ペンキの塗り替えをする人種ならいざ知らず、つくったら、つくりっぱなしの日本人には、周辺環境への配慮ということがなかなか出来ない。
都心の真中に、入母屋造りは変だし、田園地帯に金属のビルディングもおかしい。しかし、往々にして、この手の建物は実現してしまう。何も考えず施主の要望を安易に受け入れたからである。同様に、大手ハウスメーカーのように、全国どこでも一律なプランの商品を売っていると、地域性といったものが、どんどん薄れていき、どこに行っても同じコンビ二が立ち並ぶことと同じように、無国籍の町並みが形成されてしまう。
新富谷・現代和の家は、還暦を過ぎた、昔、海の安全を守った男の夫婦とそのご子息一人が生活する小さな住まいである。カーポート4台、1階に寝室、2階に書斎、ご飯は小上がりの掘りごたつで、等の要望があったが、おおむねは敷地にあわせてお任せしたいとのこと、ただ、外観は出来れば和風にしたい------------と、やや難易度はアップ。
当初の予定が狂ってマイスタープロジェクトの1号棟になってしまったこの計画で、購買層を狭める事になる和風で勝負は難しいと思ったが、妙な洋風の家が立ち並ぶ敷地周辺を見て、ロケーションを考えた現代の和と言うものを構築してみようと言う気になった。
瓦を乗せて、和室があればなんとなく和風と言う安易な答えではなく、日本人が心の奥に秘めている和の意識に迫ることが出来れば、と決意新たに導きだしたものが、この現代・和の家である。白と黒のコントラストに銀色の屋根が織り成す凛とした佇まいは、蔵のイメージを彷彿させ、思わず襟を正したくなる。侘び寂びの世界ではなく、由緒正しきものと言おうか、格式が感じられると言おうか、随所に使ったレッドシダーの持つ、一種、温かみと荒々しさが同居するテクスチャーもこの家を印象的なものとしている。
住友林業に代表されるような和風の家を、このような新興住宅地に計画するのはどうしても違和感がある。でもどこかに、新しさを醸し出す現代・和の家のような建物であれば、飛びぬけて近代的でも無ければ、野暮ったくも無い。まさに住む人そのものの感性が感じられるそんな住まいが出来あがったのではないだろうか。
幸いにもしばらくの間オープンハウスとして、たくさんの方に見ていただくことが出来るので、今までには無い、新しい感性で創り上げた、現代・和の家にどのような感想を持ってもらえるのだろうか、怖くもあり、楽しみでもある。 |
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